ー 聖ドミニコ宣教修道女会の歴史ー
聖ドミニコ宣教修道女会は、説教者兄弟会ロザリオの聖母管区の極東における宣教活動 に 協力していたドミニコ会 第三会律修修道女たちにその源を発しています。
また「聖ドミニコ宣教修道女会」となるまでに、三つの成長過程を表す時期があります。
第一期(1887年~1891年)は、スペインのトレド県オカニャにおけるドミニコ会 第三会 律修修道女の最初の共同体によって代表される修道会の生命の種の時期。
第二期(1891年~1933年)は、ロザリオの聖母管区に合体されていた時期。
第三期(1933年)は、ロザリオの聖母管区から独立し、「聖ドミニコ宣教修道女会」 として開始した時期です。
1886年、スペイン、トレド県のある貴族の未亡人が、オカニャ市に女子修道院を創立し、同時に女学校を設立する意向を持っていました。彼女はそれをオカニャのドミニコ会ロザリオの聖母管区の神父に相談し、彼は院長の承認を受け、院長とともにその創立の計画に着手しました。
二人の神父は、ナバラ県パンプロナ市ハラウタのドミニコ会第三会修道院(現在、パンプロナの無原罪の御宿りの教育ドミニコ姉妹修道会)において教育を目的とする新しい修道会の創立のためにオカニャに行く目的で13人の志願者の入会を受け入れ、そこでドミニコ会的・修道的養成を行っていました。
1887年1月、このドミニコ会修道院の4名の立誓願者と13名の修練者、1名の志願者は二人の神父とともに、パンプロナからオカニャに到着し、オカニャでの創立が始まりました。
この最初の共同体が私たち聖ドミニコ宣教修道女会の礎となりました。その当時の呼び名は、Terciarias Dominicas(ドミニコ会第三会修道女)で、現在の活動修道会というよりもベアテリオ(Beaterio)隠世修道院と呼ばれ、女性の宣教活動が活発になる前で半観想修道院でした。この新しい共同体は、院長のサンチィアゴ・パヤ神父の指導のもとに生活が始まりました。
1891年、種々の理由から私たちの最初の共同体は、ロザリオの聖母管区に合体することを願い、同年の管区会議においてスペインに宣教修道女の修練院を創設し、管区に合体させることが決議され、ドミニコ会総長によって認可されました。合体当初の目的は、ロザリオ管区がもつフィリピン・マニラのベアテリオに人材を準備するため、及び中国の宣教地において開設されつつある孤児院の種々の事業に差し向けることでした。そのため、合体に関する基本的事項の中に従順の誓願の延長として、ロザリオ管区の海外宣教地に行くことが規定されていました。つまり私たちの共同体は、当初よりロザリオ管区によって極東への宣教が目的とされていたのです。合体が正式に実現されると、1891年に宣教者のためだけの修練院をオカニャに開設しました。しかし運営上の理由により、管区は1892年、スペインの首都マドリッドに修練院を移転させたので、オカニャの修道院と学校を放棄することとなりました。
1895年、同市ロザリオ管区の所有の家に移り、オカニャで始められていた教育的使徒職が修道女達の最初の事業としてマドリッドで行われるようになりました。同年、管区によって養成された姉妹達の最初の宣教派遣団がマニラに向けて出発しました。1898年から1900年までは、フィリピンにおける反米独立運動による暴動勃発のため派遣を一時中止していましたが、1900年から1931年まで定期的にマドリッドから派遣されていました。 1917年、ドミニコ会総長が始めて極東の宣教地を視察しました。その時、中国で働く管区所属の姉妹達は総長に、ドミニコ会的宣教的修道会としての設立の大望を表明しました。その目的は、ロザリオの聖母管区が彼女たちに伝授したドミニコ会的修道規律とその固有の要因を生きることで、それは極めて観想的・修道的特徴を持つ国境のない宣教に開かれたものでした。姉妹達の請願を総長は喜ばれましたが、すぐには実現されませんでした。数年後の1930年次期総長において、姉妹達全員の意見を聞き、マドリッド、フィリピン、中国、日本、台湾の殆どの姉妹が、コングレガシオン(修道会)の形成を選択しました。 1931年、マニラで行われた管区会議でおいて修道会創立希望の旨の資料が提出され、ロザリオ管区は母としての心遣いから独立に必要な諸手続を行いました。 1933年律修者聖省は、修道会設立に認可を与えた。これをもって修道会は、教会法的に「聖ドミニコ宣教修道女会」という名称をもって組織され、本部をマニラに置く教区直轄の修道会(教区法修道会)を形成することとなりました。 1934年、ロザリオ管区は形成されたばかりのコングレガシオンをドミニコ会に合体する手続きをとり、6月24日に授与され、正式にドミニコ会第三会に加盟されました。 1964年、修道会聖座認可のため関係書類と請願書をもって聖座裁判所に提出し、修道会を正式に確認する「賞賛の布告」(DECRETUM LAUDI)をもって聖座法修道会となり、同時に会憲の認可を受領しました。翌年の1965年のマニラでの総会によって、聖座法による修道会の特質、及び修道会の中央統治の効果的活動実現の目的により、マニラからローマに総本部を移転することを決め、1968年総本部がローマに開設されました。